2012.01.07

さらば、ガストロンジャー。

平成24年1月6日金曜日。

今日が、自分にとっては年末年始休みの最後の日。
明日からは暦通りの休日で、10日から仕事再開。

そろそろ夜型生活から朝方に切り替える。
朝5時過ぎに駅へ向かう精神力を目覚めさせるために。


そんな朦朧とした意識の中
渋谷公会堂へ、あるバンドのライブに行った。
夏の日比谷野外音楽堂以来だ。
たかだか半年・・・とはいえ、
その間にそれぞれの日々に悲喜交交あったことだろう。

あまり早く行きたくなくて、ぎりぎりまで自宅で本を読みふけり、
地元の書店で、書架を隅々まで見て回り、
乗り遅れたら開演に間に合わないであろう電車に飛び乗り、
渋谷へ向かった。

車中で、読みかけの本を読み続けた。
ある学者の書籍を集中的に読んでいる時期。
新書版で、今4冊目を読んでいる。
新しく得る知識もたくさんあるが、
その表現の半分は、
今まで自分が考えていたことや
戸惑いながらも判断して実践してきていたことを
「それでよいのだよ」
と、勇気づけてくれるような明確な内容である。

本を読むことがたまらなく好きなのは、まさにこのためである。

新しい知識への出合い。
自分の中のもどかしい思いの明確化。
それが、新たな一歩を踏み出す力となる。

ライブの後は、大抵呆然としているので、感想らしい感想は書けないが、
今日は、正月休みの最後でもあり、
新年の抱負もかねて感じたことを記しておこうと思う。


渋谷公会堂へ向かう坂道。
さまざまな速度で歩く人々の間を縫いながら上っていく。

みんながみんな渋谷公会堂へ向かうわけではない。
路上でぶつぶつと文句を言っている人がいたり、
自動車の往来を整理する仕事を一生懸命している人がいたりする。
笑ったり、不機嫌だったり。
けがをしていたり、キスしていたり。

そして、渋谷ではないところでは、全く違うことが起きているだろう。
世の中の中心は、どこにでも存在する。
ドラマはどこにでもある。

わたしの足下のずっと奥の地底では、
世の中の至る所で展開されるあらゆるドラマを飲み込んでしまうような
大きな力が渦巻いているかも知れない。

だとしたら、それもまたドラマなのだ。

わたしはこれから、わたしが日本にとどまる理由の一つであるバンドのライブに行く。
でもそれは、あらゆる人々にとって価値あるものではない。

それでいい。
だから、いい。

だからこそ、彼らを通して自分を模索することができる。
「わたしはなぜ彼らを好きなんだろう」
「わたしは何を大切に思っているのだろう」

「わたしはどう生きたいのか」

そうだ。
自分のドラマを描くのだ。


ライブが始まった。
しばらくとびきりの歌声で熱唱した後、
彼はこう言った。
「なんて真剣勝負のお客さんなんだ!」

正直、つぎつぎに出す新曲がどうしても好きになれなくて、
野音でも全然乗れなくて、
売れていく彼らにだんだん価値を見いだせなくなっていた。
一旦そんな気分になるとライブの初っ端から色眼鏡で見てしまう自分がいる。
ひねくれているのやら、正直なのやら、やきもちなのやら・・・。

そんな気持ちでいるときに、
ストレートに彼は言ったのだ。
「なんて真剣勝負なんだ!」と。

リズミカルに拳を振り上げることが真剣勝負なのだとは思わないが、
この直球の言葉がわたしには一番響いた。

わたしが彼らを好きなのは、一生懸命だからだった。
真剣勝負だからだった。

「いい曲を作りたい」
「たくさんの人に聴いてもらいたい」
それが、「売れたい」ということとつながって、彼らはその道をちゃんと歩んでいる。
そこが好きだったはずだ。

「おまえも負けるなよ」
と彼らは言っているのだ。

そう、わたし自身の問題なのだ。
わたしが、わたしの人生を、真剣に生きていくべきなのに、
本当にわたしはそう生きているだろうか。

他人からすればどうでもよいわたしの人生を、
わたしがちゃんと生きていかなければ、一体誰が代わりに生きてくれるというの。

まだまだ全然本気じゃない。
小さい喜びはたくさんあるけれど、まだまだこんなものじゃない。
このままでは終えられない。

文句を言うのは簡単だし、
愚痴を言うだけでは何も変わらない。
とはいえ、他者の話を聞かず持論でごり押ししても長続きはしないだろう。

いつの時代にも
世の中の目に見えないところに、欲望の固まりが渦巻いていることはわかる。
自然の驚異的な威力に世界中の人々が心底畏敬の念を持たない限り
きっと人間の欲望が無くなることはないだろう。

化けの皮を剥がしに行ったところで、どうこうなるものではない。
足の引っ張り合い、化けの皮の剥がし合いでどんなことが起きるのか、
ある国のトップ達が毎日実践してくれている。

自分の力を蓄えていくしかない。
厳しい状況になっても対応できるような力を。


さらば、ガストロンジャー。

彼がいつも真剣に歌ってくれるガストロンジャー。
2011年にいろんなことを経験して聴いたこの歌。
なんだか昔の映画を静かに見ているような感じがした。

もう一歩先へ行こうと思う。

2012年は、自分の力を蓄えて、大切な人々とつながって、
願いの青写真を描こうと思う。

だから、さらば、ガストロンジャー。

今日のライブで胸に抱いた言葉だった。


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2012.01.05

2012年も、続けていく。

除夜の鐘を聴きながら、2012年を迎えた。

風もなく、穏やかな年明けだ。

身の引き締まるような凜とした空気。
寒さも心地よい。

近所の神社へ初詣。

空を仰げば、オリオン座が見える。
昨日と同じ夜空。
星の瞬き。

家族との会話。

何のことはない日常。

「この日常」が、実は常ではないことを、2011年は嫌というほど伝えていた。


一瞬先が闇であること。
幸も不幸もあり得るということ。

2011年は、振り返れば、さまざまなボランティアに参加させてもらった。

国際美術展覧会。
歴史博物館でのイベント。
震災。

もちろん仕事も大切にした。
だが、仕事で一生懸命になればなるほど、
自分自身が一人の人として、精一杯生きていきたいという思いに駆られた。

3月11日に地震が起きたとき、目の前の子どもたちをとにかく守るのだと、
マニュアル通りではなく判断し動く自分がいた。
子どもたちもよく指示を聞き、冷静に手際よく行動した。
みな無事だった。

だが、それは関東地方だったからに過ぎない。
わたしたちが、福島、宮城、岩手などの沿岸で生活する人間だったら、
果たして子どもたちを本当に守りきることができたか。
自分自身も生き抜くことができただろうか。

夏には美術展覧会のボランティアが重なり、東北へは行かれなかったが、
秋になって週末にボランティアに参加することができるようになった。

何の役に立っているのか、はっきり言って分からない。
だが、現状を見て、わたしは決して「知らぬ顔はできない」と思った。

同情はしたくない。
明日は我が身だ。
だからこそ、必要とされるならばわたしにできうる限りの力を捧げたい。
粛々と、淡々と、できる限り継続して。


福島にはまだ行っていない。
本当は、福島にこそ行きたいのだが、まだ叶わない。

青年海外協力隊の候補生だったとき、
2か月の間二本松の訓練所で過ごした。
安達太良の山にも登った。
岳温泉のまちの人々には、候補生みんなお世話になった。
地元のうまい酒もいただいた。
わたしにとっては、大切な大地なのだ。

週末のつかの間の休みは、宮城県にも訪れた。
松島の美しい景色を、何時間も、何時間も眺めた。
海外に出るまでの2か月間を過ごさせてもらい、
「日本の美しさ」を改めて感じたものだった。

二本松の訓練所を去る日、福島に住んでいらっしゃる方が
私たちにある言葉を贈ってくださった。

「生きて帰ってきてください、あなたのふるさとに。」

それが、親孝行だと。

かつて協力隊として活動していた息子を現地で失ったあの方の、
叫びにも似た、震えた声、溢れる涙は今も忘れていない。


そんな思い出あふれる福島へ、今年は必ず行こう。


一瞬先は闇だ。
どんなことが起きるか分からない。
分からないからといって、いつも憂いていては自分らしく生きられない。

さまざまな視点から予測を立てて、
具体的なイメージをもって、その一つ一つに手立てを用意しておく。
そして、それが全体の流れとして成立するか吟味して、
自分が納得する手立てを整える。
それを、常にイメージし、意識し、有効に活用できるように思考と訓練を繰り返す。


生きるか死ぬかは一瞬のできごとだ。
「自分」に視点を当ててそのことを考えれば、限りなく重大なできごとだ。
だが、遙か彼方宇宙の果てからそのできごとを観察すれば、
それは、名もないような、吹けば飛ぶような限りなく小さな事柄に過ぎない。
どの位の距離感があるかで、同じできごとが重くもなれば、塵のごとく軽くもなる。

それが、同じできごとにおけるわたしの認識の仕方だ。

わたしは、自分の人生も、そういう複眼で捉えていくことが必要だと思うようになった。

わたしの日常は、自分にとってかけがえのないものであると同時に、
宇宙の生命体の歴史を繋ぐほんの一こまに過ぎない。
自然現象の中に組み込まれた小さな存在なのだ。
嘆き、悲しみ、叫び、歌い、笑い、暴れ、愛し、憎しみ・・・ながらも粛々と、
宇宙の歴史の中で生を全うしていくのだ。

無様でもいいから、生きていくのだ。
さんざん泣いたら、やはりまた涙を拭いて一歩踏み出すのだ。


2012年も続けて、生きていこう。


また今年もどこかで、あなたと会えますように。

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2011.10.11

秋深まり、学習発表会。

どの学校へ赴任しても、学習発表会なるものは存在する。

発表の機会があること自体は、良くも悪くもない。
ただ、その機会を、教育的視点でどう捉え、どう運営していくかが問題だ。

発表のための発表なんて、まっぴらごめんだ。


時間の制約があることは、致し方ない。
だが、時間の割り振りまで細かく統一されるのは納得がいかない。

リーダーたるもの、もっと部下の力量を信じるべし。
そのためには、曇りのない目で、部下の行いをしっかりと見るべし。
言葉に、耳を傾けるべし。
木も見て、森も見るべし。


「『おおきなかぶ』の劇を見てもらいたい!」
子どもたちの半数以上がこう言った。

震えた。
「本気」はすごい。

佐藤忠良さんの挿絵が大好きで、内田莉沙子さんの訳が好きで、
「おおきなかぶ」の絵本で学習した。
それが、子どもたちの心に今なお息づいている。

個人面談で、保護者と話す機会があった。
そのときにも、
「うちの子は、本が嫌いだったのですが、
 『おおきなかぶ』の絵本を持ち帰っては何度も何度も音読していました。
 それからというもの、一人でいろんな本をじっと読むようになりました。」
と、話してくれた保護者がいた。

「本物」は、すごい。

佐藤忠良さんは、今年お亡くなりになった。
98歳。

私が生まれるちょっと前に世に出た「おおきなかぶ」の絵本。
学校でこの話を勉強したことは覚えていないが、この絵本は大好きだった。
45年間の年月を越えて、今年の1年生の心に届いた「おおきなかぶ」。

やっぱり、私たちは、同じだ。
まだまだ、繋がっている。
この大地の子として、ちゃんと繋がっている。


お~い、子どもたち!
伝えよう!
大人たちに伝えよう! 

本気を!
本物を!
私たちは、ちゃんと、歴史の宝物を受け継いで生きているのだと!

「子どもたちに負けるなよ」
・・・と。

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2011.10.10

恐るべし、泥だんご!

あなたは、子どもの頃、泥だんごをつくったことがありますか。

私は、あります。

小学生時代に、一時友達同士のブームになった。
その割に、誰から、どのように受け継いだのか、今なお謎なのだが。

泥を探して、水を混ぜながらこね、
手のひらサイズの球を、ぎゅっと握ってつくる。
砂をかけ、少し乾燥させてから、また土を周りにつけながら、
ぎゅっと握って一回り大きな球をつくる。
また、砂をかける。

それを数回繰り返す。

そして、日陰の涼しいところに置き、砂をかけ1日そのままにしておく。

次の日、そっと取り出し、堅さと乾燥具合を確かめた後、
周りを指でこすり、削りながらつやを出していく。

かなりの強度があり、
ものによっては、指やかたい葉で周りを磨くとつるつるになった。
最高のできばえの時には、つやも出た。

同じ団地に住む子どもたちは、泥だんごのできばえを競い合うように、
みな夢中になってつくった。

「泥だんご」

この響きは、言葉に表すことができないような感情を、
記憶の底から呼び起こす。
子ども時代の、体温や香りまで思い出すことができるほどだから、
当時の私の生活を支えていた、大切な存在だったのだろう・・・。

「口裂け女」のデマを本気で信じ、人間の心情の複雑さを、
一人でずっと分析し続けていた小学校時代後半のできごとに
勝るとも劣らぬ大事件だった。


大人になってから、書店で「光る泥だんご」などの本を見かけたとき、
「泥だんご」が、
日本の不特定多数の人々にも知られていたという事実を知った。
びっくりした。

団地の仲間の中だけに通用する、
たわいのない遊びに過ぎないのだと思っていたが、
実は、ちゃんとしたルーツがあるようなのだ。
だとしたら、私たちが夢中になったあの行為は、
誰からどのようにして伝わってきたのか、
知りたくなってきた。


今、「光る泥だんご」づくりに取り組んでいる。

とはいうものの、子ども時代につくっていた未熟なものとは違い、
材料からして贅沢きわまりない泥だんごづくりだ。
大人だからこそ、ここまでできるのだろう。

土を選び、砂を選び、藁を混ぜ、時間をかけてじっくりつくる泥だんご。

ただいま、自宅で乾燥中。
次回、いよいよ磨きにはいるという。
さらにきめの細かい泥を表面に塗り、乾燥させ、磨く。

子ども時代と今の自分が手のひらで交叉する。
何が変わって、何が変わらないのか。
時間軸だけでは説明がつかない、自分の中の宇宙。

まるで、一つの星のような、泥だんご。

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2011.08.26

また一つ夏が終わる。

帰国して5年目の夏。
異動して2年目ともいえる夏。

失望、腹立ちは今なおあるが、さすがに5年も過ごせば
日本で仕事をすることに少しは適応するものだ。

我が国のトップを見れば、
どこへ向かって何をしようとしているのかさっぱり分からないのだから、
私は私で、信じる道を突き進んでいくしかない。

そんなことを腹の底で思い、夏は忙しく過ごした。
ゆっくり、だらだらと、一歩も外へ出ずに過ごすことができた日は2日間しかない。
とは言え、仕事ばかりをしていたわけでもない。
海外旅行へ出かけたわけでもなければ、国内プチ旅行をしたわけでもない。

日本を離れて、帰国して以来遠ざかっていたボランティアの活動に復帰した。
自分がどれほど役になっているのか・・・と考えたら、
復帰が望ましいのかどうか、自分自身では判断できないけれども、
「もう一度やりたいな」と、気持ちが動いたから、その感覚を信じることにした。

もちろん、規約を逸脱した復帰願いだったため、
そう簡単に許されはしなかった。
面接有り、研修有り、再度意思の確認有り。
3か月間かけて、ようやく認めてもらった。

8月からほかのボランティアの人たちと同じように活動するようになった。
気持ちは、思いの外冷静で、淡々と活動する自分に、少し驚く。
一方で、復帰を認めてくださった方々への感謝の気持ちが溢れている。
ボランティアを始めたばかりの頃の自分とは、確実に変化している。
これからはきっと、無理せず、地に足を着けて続けられる気がする。

そのほかに、2つのボランティア活動を始めた。
一つは、5年間の契約。
一つは、3か月間の契約。

どれも面白い。
嫌だな・・・と思うことも含めて面白い。
人が面白い。
できごとが面白い。
そこにいていろいろとやっている自分が面白い。


    今まで、自分にとってつらく悲しいことはいくつか起きていた。
    今、世の中のいろんなところで大変なことがたくさん起こっている。
    いつか、自分の身にも同じようなことが起きる。

そのサイクルの中で、今自分がこうしていることが、愛しいのだ。
失敗したり、嫌だなと思ったり。人と話して笑ったり、怒ったり。
さぼったり、頑張ったり。

息苦しい社会の仕組みの中で、
いろんなことをしたいと思う自分を、解放できる瞬間を求めているのだろうか。
その一瞬が、心地よい。

「無人島へ行って、狂ったように暴れたり、海や山に向かって叫んだりすれば
もっと開放感を得られるだろうに・・・」
と言われるかも知れない。
でも、それは、私にとって本当の解放ではない気がする。

人の輪の中で生きていながら、自分を解放したいのだ。
無視されるのでもない。差別されるのでもない。
誰も傷つけない。苦しめない。

もっと、生命の原点に立ち戻って、しがらみもなく、競争もなく、
ただ、自然の脅威を掟として、
生かされている生をただ精一杯生きようとする人間の営み。

もう、戻ることなどできない夢物語なのかもしれない。
でも、私は夏の終わりに、やっぱり思うのだ。

時間や規則にがんじがらめの仕事の日々に、
いつも言葉にならない感情が自分の体の中でうごめいている。

もっと自由でいいじゃないか。
柔軟でいいじゃないか。
失敗したっていいじゃないか。
ゆっくり歩んだっていいじゃないか。
力を抜いたっていいじゃないか。
みんなが同じ方向を向かなくたっていいじゃないか。
決めつけないで、そう簡単に。
いろんな道、いろんな思考、いろんな色、いろんな香り、
いろんな形、いろんなリズム・・・。
本当はもっと、人も世界も、どろどろ、がやがや、混沌としていると思う。
杓子定規には収まらない気がするのだ。
自然のダイナミックなサイクルのように、
きっとその混沌とした中にも、
ダイナミックな、人としてのサイクルがあると思うのだ。

人は、自分の都合に合わせてルールをこねくり回してつくり続けるうちに、
小さく、弱くまとまってしまった。
恐れるべき対象を、自分たちで増やしてしまった。
敵を、自らの手で造り続けているのだ。
そして、嘆き苦しんでいる現状。

時間をさかのぼったり、広い視野で世界を見れば、
これが正義で、これが悪だ、なんて誰が言えるだろう。
 
また一つ夏が終わる。
あと3日で仕事も始まる。

子どもたちに会うのは楽しみだ。
子どもたちは、まだまだ自然に近く、びっくりするようなことをする。
それで、私の中の原始的な何かがうずくのだ。

私は普段からあまり「教師」っぽくないから、
管理職からの評価は低いだろうが、
そんなことは、腹の底ではどうでもよい。

本当に恐れなければならない掟を忘れ去り、
目先の規則や評価に右往左往してしまう人間にはならぬよう、
子どもたちと一緒にダイナミックに生きていこう。


あぁ、夜が明けた。
今日は、暑くなりそうだ。

今日は、現代アート展のボランティアの日。
出かけよう。

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2011.07.27

トイレでばったり出会ったとき。

トイレで知り合いにばったり出会ったとき、どうするだろうか。
用を済ませ、ほぼ同時に扉を開けたとき、知り合いと目があったら・・・。

「こんにちは」
でもないし・・・。

「まぁ、こんなところで」
も、テンションを上げることで照れをごまかしている感じがする。

「あ・・・。」
と、何となく気恥ずかしいような、ばつが悪いような感じで、
「どうも~」
などと言って愛想笑いしながら、手を洗って一足先に出ていくだろうか。


先日、教室前のトイレでそんな状況になった。

8時15分。
開門5分後のトイレ。

すでに一つの扉が閉められており、
二人目として私が入った。

扉を開いたその瞬間、先に閉じられていた扉も開いた。

目が合った。
自分のクラスの児童だった。
「どうしよう、なんて声をかけるべきだろう」と、一瞬戸惑った私。

するとどうだろう。
その子が、戸惑う私に間髪入れずに真顔で声をかけてきた。


「ねぇ、私、猫娘の絵を描いてきたんだよ。見る?」


私は、もう、この瞬間、この子の全てを愛してしまった。
こちらが想像することが不可能な言葉を投げかけながらも、
驚きと唖然さと楽しさが入り交じったこんなにも弾む気持ちにさせてくれる
言葉がけとそのタイミング。

宇宙だ。
子どもは、宇宙だ。

こういうことができるのが子どものすごいところ。


こういうことが日々あるから私は頑張ろうと思う。
子どものために。

子どもが、天真爛漫に感じ、信じていることを、
まじめに、真剣に、ありのままに表現し、生きることができるよう。


その子は、飛び跳ねるように教室に戻り、ランドセルの中から紙を取りだし、
猫娘の絵を見せてくれた。


「いくよ、先生。ちょ~っとだけ開くから、よ~く見てよ」

「はい、おしま~い。見た?見た?じゃ、もう一回だけいくよ、今度はちゃんと見てよ」

「・・・・・はいっ、おわり~。見たでしょ?ねぇ、見たでしょ?どうだった?」

「目が、そっくりだと思わない?」

私の反応を見ながら、ずっと自分で話を進めている様子がとても生き生きしている。

自然と周りに友達が集まってきて、彼女を取り囲む。

「見せて、見せて。」
「わぁ、かわいい。」
「おれ、こいつ知ってる、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる強い女」
「猫みたいな目になるんだよなぁ」
「だから猫娘って言うんじゃん!」
「似てるね」
「おれ、目玉親父が好き」
「あたし、それも描けるよ」
「えぇっ!描いて描いて!」


こうなるともう私の出番は不要。

朝の時間が始まるまで、ほかの子どもたちと話したり、
連絡帳にかかれた保護者からの通信に目を通したりして、
何となく学校の一日が始まる。

改めて思う。
学校は、子どもといるときが一番。

私は時に、とても厳しい「先生」なのだが、
いつも思うのは、この子どもたちが強く、優しく、しなやかに、
これからの世の中を、生きながらつくっていく力を育んでいってほしいということ。
そのために、私は全力で働く。
見ているものは、子どもの未来の姿だ。
自分の進退を見ているのではない。

ただ、格好いい大人でいたいとは思う。
自分自身が誇れる人生を送っていたい。
命尽きるまであきらめず、模索しながら信念を貫いていきたい。
子どもが未来に羽ばたくとき、私も同じ時代を生きているのだから。
ともに同じ時代を生きていくのだ。


・・・
トイレで知人に出くわしたとき、
愛想笑いでごまかすだけのワンパターンに安穏とするのではなく・・・、

自分の感性を研ぎ澄ませ、経験や思考を存分に活用し、
もっともっとわくわくするような新しい表現やできごとを生み出していきたい。

自分の全てを使い尽くして生きぬきたい。

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2011.07.03

幻想と覚醒

週末から来週にかけて、荒れ模様の天気と伝えられていたが、
予想を覆すほどの強烈な日差しと蒸し暑さ。

頭の中は授業構想を発酵させている段階で混沌としているが、
特に形として表す義務はないから、身体と気持ちがゆっくり覚醒するまで
だらだらとしていた。
何か月ぶりのくつろぎ感だろう。


夕方4時頃、少しだけ風が涼しくなった気配を感じた。

「そうだ、本屋へ行こう」


一山越え、駅に出て、専門店が寄り集まったショッピングセンターで
88円のペットボトル紅茶を一本買い、青い電車に乗った。

弱冷房車両に乗る。
人が少なく、下車したときの体感温度の落差に腹を立てる度合いも少ないから。

埼玉方面まで行く列車。
めぼしい書店は、途中の駅にもいくつかあったが、
その時の気分で、どんどん通過したくなり、「東京」まで行ってしまった。

1時間近く列車に揺られ、選んだ書店に到着したのが6時半。
4階までエスカレーターで上がり、その先は階段で6階まで。

地元の書店ではなかなか目にしない本がフロアにあふれかえっていたが、
さがし求めている分野の本は、数冊しかなかった。


「東京なのに?」


東京は日本の首都で、今でこそ徐々に地方分権、分散の声が聞こえてはいるが、
長い間、一極集中で東京には何でもあるというイメージがあった。
東京だけは特別だというイメージが。
許されることもたくさんあり、規制もたくさんあり、お金も、人もあふれかえるイメージ。
それを誇りに感じている「東京」。

だが、全てがあるわけではない。
東京が日本なのではない。

私の生まれ育った地元は、地方都市。
東京に近いために、スルーされがちな政令指定都市。
かつては小さな漁村にすぎなかった。
(深く、多角的に考えればそこにいくらでも価値を見つけることができるのだが)


地元の書店は、確かに東京のこの書店に比べれば規模は格段に小さい。
だが、それぞれにテーマ性があり、ユニークな書店が点在している。

大野一雄さんという舞踏家がいた。
その方には、実は幼稚園時代からお世話になっていたのだが、
その方に関する書物なら、小さな、とある施設に行けば揃っている。

多文化共生については、あのまちの、あの書店に行けば豊富だ。

まちづくりに関しては、あの駅の通りのあの本屋に行けば、
書架一つ分は揃っている・・・など。


面倒がらず、地元を歩き尽くす気持ちがあれば、
地元は、決して東京に劣らぬまちなのだった。

大きければいいというものでもない。
数が多ければいいというものでもない。
ブランド品だからよいというものでもない。

心意気なんだろうな。
店で言えば、店主、店員の。
学校で言えば、教職員の。

人の心意気が支えているのだ。
この国を。
だから、私も、そこへ向かうのだ。
幻想ではなく、数でもなく、大きさでもなく。


幻想に、あえて酔うのはかまわないが、
幻想に、惑わされるのは残念だ。

常に覚醒していては、それは普通のことであり、驚きも感動もない。
だが、機会を逃さず覚醒できる感性と体力を持ち続けていたい。


必要なときに、必要なものを求め、どこへでも行ける人でありたい。
大切なことを、大切な人と交流し、自分の中に染みこませ、
変化し続ける人でありたい。


自分は動かず、手近なものしか見ず、
「なんにもないじゃないの」
「なにもしてくれないじゃないの」
・・・なんてわめくだけで、一度きりの人生を終わらせたくない。


幻想、日常、覚醒。

主人公は自分だ。
決して万能ではない、儚い存在の自分だ。
だからこそ、求めて生きていく。

自分の足で、近づいていく。
自分の目や耳で確かめに行く。

そして、変化しながら、できる限りのことを懸命にする。


東京の、大きなこの書店は、7時閉店だった。
1時間かけて来て、30分間しかいられず、書は見あたらず。


また30分かけて戻り、地元の駅で途中下車し、
立ち寄った書店で、目あての書を見つけた。

・・・そう。
本当に、幻想に惑わされてはいかんのだった。

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2011.06.26

まだまだマイブーム「南中ソーラン」!

最近、やっと映画のビデオを借りることができた。
何度も見て、堪能した「稚内発 学び座 ソーランの歌が聞こえる」

私の住む市には、このビデオを所蔵している公的機関は一つもない。
10年間、ずっと頼んできたが、いっこうに動かない。

何か、大切なことを忘れているんじゃないか。
上っ面のパフォーマンスばかりに目がいっているんじゃないか。


貸してくださった某市の担当の方、ありがとうございました。

やっぱり、世の中は多様性が大事。
地方、地域、個人商店、アウトサイダー、NPO・・・・・。

そういう多様な形態、多様なルートが存在し、
それらが網の目のように絡まっていることが本当の豊かさではないか

南中ソーランは、今なお私にとってはブームである。
出合ったときの衝撃が、忘れられないのだなぁ。 

次のものは、南中ではないほかの集団が舞う南中ソーラン。
切れがあってうまい。

「切れがある」つながりで、これもすごい。

「すごい」つながりで、これもリンクしておこう。


さぁ、私も仕事仕事。
明日までの締め切り原稿を仕上げる。

・・・とほほ。

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「伝わる」ということ。

教員となって20年目。

教員になったばかりの頃は、世の中はまだバブル期。
「公務員なんかになんでなるの・・・?」
という風潮が依然としてあった。

周りの友達は、華やかな企業に就職していった。
先輩のなかには、月給に私のボーナスの2倍ももらっている人もいた。
そんな時代。

教育学部出身でもなく、
特に教育に夢を抱いているわけでもなかった自分が
教育実習での子どもたちとの出会いから俄然意欲がわいてしまい、
教員になった。

同期や先輩教員のほとんどが地元の国立大学の教育学部出身者。
私立の外国語学部を出ている小学校教師には、
今まで一人も出会わなかった。

確かに、自分でも何だか風変わりな歩み方をしているものだと、
うすうす自覚していた。
だから、これから先も私は、「異端児」として孤高に、自由に、
教員の道を歩んでいくのだと
ただ、ただ「子どもたちの育ち」を願う一心で働いてきた。

自分が自分を律し、鼓舞し、貪欲に研鑽を積んでいくしかなかったからだ。

世の中の変な学歴社会、偏差値至上主義に一石を投じたかった。
人間の可能性を信じているからこそ。
人間は、内面に計り知れない能力を持っている。
それを表出するきっかけが有れば、人間は変わる。
私は、ずっとそう信じている。

人間なんて、肩書きや偏差値などだけでは計り知れないじゃないか。
私たちは、生きているんだ。
あらゆる生き物の命を奪ってまで、生きているんだ。
仮面を被って右往左往している場合ではない。
自分の全身全霊で模索しながら変形していくしかない。


最近、職場にはどんどん若い教員が増えてきている。
臨時任用教員や非常勤教員もかなり増えている。

「若さ」イコール「未熟さ」・・・は否めないところもあるが、
「未熟さ」イコール「無能」・・・ではない。
その人を見て、その人と話してみなければ分からない。
年齢を重ねても「おい、おい、大丈夫かよ、この人」と感じる人もいる。
若くても「なるほど、すごいな、この人」と感じる人もいる。


ちょうどその中間の立場にいる自分。
自分では頑張っているつもりだが、客観的な評価は分からない。
でも、「子どもを育む」ことだけには決して手を抜かず、
授業でも、生活面でも必死だ。
教材研究も、時間と体力と財力の限りを尽くして納得いくまでする。

「何でそんなにこだわるの?給料は変わらないのに」
と言われたり、そんな雰囲気が漂ったりすることもあるが、揺るがない。


そんなとき、びっくりする出会いがあった。

臨時任用教員として今年度から同じ職場で働いている若者がいる。
3か月が過ぎ、たまたま交わした会話から
同じ大学、学部、学科出身であることを知った。

はじめてである。
20年来はじめての後輩。

自分自身が紆余曲折で教員になったものだから、
この後輩がどういう経緯で教員になったのか大変興味があるが
それはそれとして。

この後輩は、すごいと感じている。
もっている引き出しがたくさんあると思う。
感じる心も豊かだ。
いままで、きっといろいろなことを経験し、考え、
乗り越えてきたのではないだろうか。

7月から教員採用試験が始まるという。
日々仕事の忙しさの合間を縫っての受験は決して楽ではないと思うが、
受かるよう心から祈っている。

私も負けないように、変わり続けよう。
「頑張れ!」
なんて、後輩を応援している暇はない。

私自身が、頑張るのだ。
私自身が、歩み続けるのだ。挑戦し続けるのだ。
それしかない。
それしか「伝える」術はないのだ。


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2011.06.24

雪景色と、楓。

冬に北海道を旅するときは、いつもこの曲を聴く。

北斗星の車中で、曇る車窓から雪景色を眺め、
走り去る広大な景色にこの曲を重ねながら。

無心だ。
何も、何も考えない。


今年の冬、行ってみようかな。
久しぶりに。


スピッツ 「楓」

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